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最高裁判所大法廷 昭和42年(オ)1327号 判決

上告人

日本ビクター株式会社

代理人

野呂汎

ほか五名

被上告人

三栄電機株式会社

代理人

田中一男

主文

原判決中、被上告人に対し金五五万一八三二円およびこれに対する昭和四〇年九五日から完済まで年六分の割合による金員の支払を命じた部分(原判決主文第二項)を除き、原判決を破棄する。

被上告人は、上告人に対し、前項の金員のほか、さらに、金二六五万四〇〇八円およびこれに対する昭和四〇年九月五日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、第一、二、三審を通じ、被上告人の負担とする。

理由

上告代理人山根篤、同下飯坂常世、同海老原元彦、同広田寿徳、同竹内洋の上告理由第一点および第二点について。

商法二六五条は、取締役個人と株式会社との利害相反する場合において、取締役個人の利益を図り、会社に不利益な行為が濫りに行なわれることを防止しようとする法意に外ならないのであるから、同条にいわゆる取引中には、取締役と会社との間に直接成立すべき利益相反の行為のみならず、取締役個人の債務につき、その取締役が会社を代表して、債権者に対し債務引受をなすが如き、取締役個人に利益にして、会社に不利益を及ぼす行為も、取締役の自己のためにする取引として、これに包含されるものと解すべきである(当裁判所第三小法廷判決昭和三八年(ネ)第二六一号、同三九年三月二四日裁判集七二号六一九頁の趣旨は、右の限度で、変更されたものというべきである。なお、同小法廷判決昭和三一年(オ)第二五号、同三三年一〇月二一日裁判集三四号三〇三頁は本件に適切でない。)。

そして、取締役が右規定に違反して、取締役会の承認を受けることなく、右の如き行為をなしたときは、本来、その行為は無効と解すべきである。このことは、同条は、取締役会の承認を受けた場合においては、民法一〇八条の規定を適用しない旨規定している反対解釈として、その承認を受けないでした行為は、民法一〇八条違反の場合と同様に、一種の無権代理人の行為として無効となることを予定しているものと解すべきであるからである。

取締役と会社との間に直接成立すべき利益相反する取引にあつては、会社は、当該取締役に対して、取締役会の承認を受けなかつたことを理由として、その行為の無効を主張し得ることは、前述のとおり当然であるが、会社以外の第三者と取締役が会社を代表して自己のためにした取引については、取引の安全の見地より、善意の第三者を保護する必要があるから、会社は、その取引について取締役会の承認を受けなかつたことのほか、相手方である第三者が悪意(その旨を知つていること)であることを主張し、立証して始めて、その無効をその相手方である第三者に主張し得るものと解するのが相当である。

本件において、被上告人三栄電機株式会社(以下被上告会社という。)の取締役深尾四郎が上告人日本ビクター株式会社(以下上告会社という。)に対する自己の債務につき、被上告会社を代表して、その債務の引受をなしたものであり、右引受行為は会社以外の第三者との間で取締役が会社を代表して自己のためにしたものであつて商法二六五条の取引に該当するところ、取締役会の承認を受けなかつたことにつき、相手方である上告会社が悪意であつたことを、被上告会社において主張し、立証をしなければ、右取引の無効を上告会社に主張し得ないものといわなければならない。

然るに、原判決は、被上告会社がその取締役深尾四郎の本件債務を引き受けた行為に商法二六五条の適用があるとしながら、取締役会の承認を受けなかつたから、本件債務引受は無効であるとして、たやすく、上告会社の請求の一部を排斥したのは違法であつて、この点の違法をいう論旨は理由があり、その余の論旨に対する判断をするまでもなく、原判決中上告会社敗訴の部分は破棄を免れない。

そして、本件債務引受は、会社以外の第三者との間で取締役が会社を代表して自己のためにした取引であることは、前叙のとおり明らかなところ、右取引に関し被上告会社の取締役会の承認の決議の不存在について上告会社が悪意であつたことについては、主張・立証がなく、したがつて、被上告会社は、上告会社に対し、その無効を主張しえないのである。それゆえ、本件引受債務の履行を求めている上告会社の本訴請求は、原判決が適法に確定した事実のもとでは、すべて正当であり、これを認容すべきである。

よつて、民訴法四〇八条一号、九六条、八九条に則り、裁判官田中二郎、同大隅健一郎の補足意見および裁判官横田正俊、同草鹿浅之介、同松本二郎、同下村三郎、同色川幸太郎、同松本正雄の意見があるほか、裁判官全員の一致で主文のとおり判決する。

裁判官田中二郎の補足意見は次のとおりである。

私は、さきに、本件多数意見によつて変更された昭和三八年(オ)第二六一号、同三九年三月二四日の第三小法廷判決に関与した一人であるが、右判決で、商法二六五条の適用範囲について、いわゆる直接取引限定説の立場をとつたのは、商法の基本理念である取引の安全保護の見地からいつて、同条の適用範囲はこれを厳格に解釈し、いわゆる直接取引に限定するのが妥当であり、かつ、同条の規定自体にも適合するものと考えたからであつた。しかし、右の考え方には、若干疑問の余地があるので、今は、これを改め、本件の多数意見の考え方に従うこととする。その理由は、次のとおりである。

(1) 商法二六五条の規制の対象となる取引の範囲および同条に違反してされた取引の効力を考えるにあたつては、会社の利益保護の要請と商法の基本理念ともいうべき取引の安全保護の要請とを、どうように調和させるべきかが問題となる。私は、さきの判決では、後者に重点をおいて、同条の規制の対象をいわゆる直接取引に限定し、このような取引については、同条に違反する限り、無効となるを免れないとした。しかし、会社の利益保護の要請も無視することができず、こういう見地からいえば、少なくとも本件の債務引受のごとき行為は、たとえ、取締役と会社との間の直接取引行為ではないにしても、取締役につて利益で会社にとつて不利益となることが明らかで、同条の規制する取締役が会社から金銭の貸付を受けるのと同様、取締役と会社との間の利害相反的な行為というべきであるから、同条の規制しようとする取締役の自己のためにする取引に含まれるものとみるのが同条の趣旨にそう素直な解釈であり、したがつて、右のような行為は、取締役会の承認を受けることを要し、これを受けないでしたときは、一般に無効となるべきものと解するのが相当であろう。

(2) しかし、会社の利益保護の要請のみを考えて、商法の基本理念である取引の安全保護の要請を無視することは許されない。したがつて、前叙のように、商法二六五条の規制の対象に本件の債務引受のごとき行為を含めるべきものとしても、このような行為について、取締役会の承認がないからといつて、その行為が、直ちに、絶対的に無効になるものと解すべきではない。というのは、同条の定める取締役会の承認というのは、会社の内部的な問題であるから、取引の安全保護の見地からいつて、会社は、この内部的事情に属する取締役会の承認がないことを理由として、直ちに善意の第三者に対してまで、その無効を主張することは許されないと解すべきだからである。

(3) いわゆる間接取引に属する行為がどの範囲まで商法二六五条の規制の対象となるものと解すべきかについては、なお、種々検討を要する問題があるが、少なくとも本件債務引受のごとき行為については、右のように解することによつて、会社の利益保護の要請と取引の安全保護とを適当に調和することができるものと考える。

以上の見地から、私は、これと同趣旨の本件多数意見の考え方に同調することとする。

裁判官大隅健一郎の補足意見はつぎのとおりである。

一、商法二六五条に違反してなされた取引の効力については、大別して、つぎの三つの考え方がありうる。第一は、かかる取引は絶対に無効であるとする見解、第二は、かかる取引も有効であるが、会社は取引の相手方である取締役および悪意の第三者に対しては一般悪意の抗弁をもつて対抗することができるとする見解、第三は、かかる取引は無効であるが、会社は善意の第三者に対してはその無効を主張することができないとする見解、がこれである。このうち第一の見解は、会社利益の保護のために取引の安全をかえりみないものというほかなく、採ることができないと考える。第二および第三の見解は、いずれも第一の見解にともなう右の欠陥の是正を意図するものであるが、その考え方において互に表裏の関係にあるものといえる。そして、商法二六五条の定める取締役会の承認が会社の内部的問題であることからみれば、取締役会の承認を欠く取引を有効と解することにも相当の理由があると思うが、しかし、法がとくに取締役と会社との間の取引につき特別の規制を加えていることにかんがみれば、同条違反の取引は無効と解するのが立法の趣旨にそうゆえんであつて、問題は、どのようにこれと商法の基本理念である取引安全の保護の要請との調和をはかるかにあるものと考える。このような観点に立つてみれば、第三の見解が最も妥当であるといわなければならない。

二、ところで、多数意見は、もつぱら本件の事案に即して、「会社以外の第三者と取締役が会社を代表して自己のためにした取引については、取引の安全の見地より、善意の第三者を保護する必要があるから、会社は、その取引について取締役会の承認を受けなかつたことのほか、相手方である第三者が悪意(その旨を知つていること)であることを主張し、立証して始めて、その無効をその相手方である第三者に主張し得るものと解するのが相当である。」と述べているのみで、取引は直接取締役と会社との間に行なわれたが、後に第三者がその取引の目的物を譲り受けた場合のように、第三者がその取引につき利害関係を有するにいたつた場合においても、その第三者が同様の保護を受くべきかどうかについては、何ら言及するところがない。しかしながら、取引の安全の見地から、善意の第三者を保護する必要があることにおいては、本件における債務引受契約の相手側である第三者と、取締役と会社との間の取引の目的物を譲り受けた第三者のごときとで異なるところがないことはいうまでもないのみならず、実際上はこの後の場合にいつそうその保護の必要が大きいといえる。それゆえ、この場合にも、会社は、取締役と会社との間の取引について取締役会の承認を受けなかつたことのほか、第三者がこれにつき悪意であつたことの主張、立証をするのでなければ、その取引の無効を当該第三者に対して主張しえないものと解しなければならない。したがつて、取締役と会社との間の取引の目的物が不動産である場合にも、これを譲り受けた善意の第三者は保護されることになり、また、その目的物が動産である場合にも、これを譲り受けた善意の第三者は、民法一九二条以下の規定によるのではなくして、上述の理論によつて保護されることとなるわけである。私は、このような見解のもとに、多数意見に賛成するものである。

三、右のような私の見解によるならば、商法二六五条にいわゆる取引を、文字どおり、取締役がみずから一方の当事者となりまたは第三者の代理人となつて会社との間にする取引にのみ限定して解しなくても、格別取引の安全を害するおそれはなく、むしろれにより会社利益の保護を企図する同条の立法趣旨と取引安全保護の要請との間の適当な調和をはかることができるであろう。もちろん、そうだからといつて、同条にいわゆる取引の範囲をみだりに拡張して解すべきではなのであつて、多数意見が、「取締役個人の債務につき、その取締役が会社を代表して、債権者に対し債務引受をなすが如き、」取締役個人に利益にして、会社に不利益を及ぼす行為という、いささか厳格にすぎるともみられるような債務引受にあつては、引受契約は債権者と会社との間でなされるにしても、それは債務者である取締役の意思に反してはなされえないものであるから(その意味で、債権者、債務者および引受人の間の三面契約にも近いものといえる。)、たとえ商法二六五条にいわゆる取引を条文の文字に即して狭く解する見解に立つとしても、少なくともかかる行為はそのいわゆる取引に準じて解するのが当然あつて、それまでも否定するのはあまりにも形式的な解釈ではあるまいか。

四、なお、本件記録によると、被上告会社の株式の大部分は深尾四郎夫妻のものであり、残りの一部が従業員の所有名義になつており、右四郎が被上告会社の事業の全般をひとりで掌握している事実を窺うことができるが、右の従業員名義の株式も実質的には深尾四郎夫妻の所有に属することまでは、原審の認定しないところである。もしその認定があるならば、私も、本件については商法二六五条を適用する余地がないとする松本裁判官の意見に賛成であるが、そこまでの認定のない本件においてただちに同条を適用すべきでないとすることには躊躇せざるをえない。

裁判官横田正俊、同草鹿浅之介、同下村三郎、同色川幸太郎の意見は次のとおりである。

上告代理人山根篤外四名の上告理由第一点について。

一、商法二六五条前段は、同条特記の行為その他取締役が自己または第三者のために会社と取引をするには、取締役会の承認を受けるべき旨を規定しているが、それは、これらの取引により会社の利益が害されることを防止することを目的としたものと解される。そして、同条により取締役会の承認を受けるべきものとされている取引は、右規定自体で明らかなとおり、取締役が自己または第三者のために会社との間にする取引、すなわち(イ)取締役自らが一方の当事者となつて会社との間にする取引、または(ロ)取締役が第三者の代理人となつて会社との間にする取引をいい、その取締役が会社側をも代表して右取引をする場合には、右(イ)の取引は民法一〇八条所定の自己契約に、(ロ)の取引は同条所定の双方代理に当ることとなる。そして、民法一〇八条が、原則として、自己契約または双方代理を禁止しているのは、代理人による取引により本人の利益が害されることを防止するため、これに違反する代理行為の効力を否定する趣旨であると解されると同様、商法二六五条所定の行為が自己契約または双方代理に当る場合には、会社の利益を保護するため取締役会の承認なくしてなされた行為の効力を否定する趣旨であると解される。もつとも、民法一〇八条に違反する取引も本人がこれに同意した場合には本人に対しその効力を生ずるものと解されるのと同様、商法二六五条所定の取引も取締役会の承認を得た場合には会社に対しその効力を生ずるものとするのが相当であり、商法二六五条後段の規定は、まさにこのことを明らかにしているものということができる。

ところで、商法二六五条所定の行為が自己契約または双方代理に当たらない場合、すなわち、他の取締役が会社を代表する他の取締役と結託してその取引を行うときは、会社の利益が害されるおそれがあること、自己契約または双方代理におけると同様であるから、商法二六五条はこれらの場合にも取締役会の承認がないかぎり、その取引の会社に対する効力を否定したものと解するのが相当である。

そもそも、取締役は、会社のため忠実にその職務を遂行する義務を負うものであり(商法二五四条ノ二)、会社と取締役との間の関係は委任に関する規定にしたがうもの(同法二五四条三項)とされているのであるから、取締役がその任務に背き会社に損害を及ぼした場合に会社に対しその損害を賠償する責に任ずべきことはいうをまたないところであるが、商法が二六五条の規定をとくに設けているのは、同条違反の取引については、取締役の損害賠償責任の問題とは別に、進んでその取引の効力そのものを否定することによつて会社の利益の保護を全うしようとしたものと解されるのである。

しかしながら、他面において、およそ、取引の一方の当事者の利益を保護するため、その取引の効力を否定する場合には、取引の相手方その他の第三者の利益を害するおそれがあるばかりでなく、取引の効力の有無を保護されるべき当事者の内部的事情にかからせる場合には、他の者に不測の損害を及ぼすおそれがあることは否みえないところである。

右のような点に留意しながら商法二六五条の適用範囲を考えると、同条に規定する取引の範囲は、その規定するとおりに厳格に解釈するのが相当であり、これを拡張解釈して、取締役と会社の利益が対立し会社に損害を及ぼすおそれのある取引にまで拡張し、会社の内部的事情である取締役会の承認という事実にその取引の効力をかからせることは適当なこととは思われない。そのような利害相反取引に対する会社の利益の保護は、取引そのものの効力を否定することによつてではなく、取締役個人に対する損害賠償請求等の途によるべきものと考える。

二、本件についてみるのに、本件債務引受契約は債権者である上告会社、被上告会社との間の取引であり、被上告会社の取締役である深尾四郎が自ら当事者となり、または上告会社を代理して被上告会社との間にした取引でないことは明らかであるから、これにつき商法二六五条の適用はなく、したがつて、右取引は、被上告会社の取締役会の承認をまつまでもなく、被上告会社に対しその効力を及ぼすものといわなければならない(取締役深尾四郎が被上告会社に対し損害賠償の責任を負うかどうかは別個の問題である。)。しからば、本件取引につき商法二六五条の適用があるとした原判決は法令の適用を誤つたものであり、その法令違反は判決に影響を及ぼすこと明らかである。所論は理由があり、原判決中上告会社敗訴の部分はこの点において破棄を免れない。

三、しこうして、原判決が適法に確定したところによると、上告会社の本訴請求は、すべて正当であるから、これを認容すべきである。

裁判官松田二郎の意見は、次のとおりである。

上告代理人山根篤外四名の上告理由第一点ないし第三点について。

本件についての私の結論をまず述べておきたい。

本件は、会社の利益保護と取引安全との相対立する二つの要請の調和点をいずれに求めるかに関する。私は、商法二六五条にいう「取引」とは、取締役またはその代理もしくは代表する第三者と会社間に直接成立する取引(以下これを直接取引という)で、利害の衝突を生ずべき債権契約のみを意味するものと解する(附言すれば、手形は取引の手段として利用されるものであつて、前提として原因関係が先行するものであるから、会社と利害対立するのはこの原因関係のみである。)。従つて、本件の行為は、同条にいう「取引」に当らないものと解するものである。その理由は次のとおりである。

多数意見は、右法条のいわゆる取引中には、「取締役と会社との間に直接成立すべき利益相反の行為のみならず、取締役個人の債務につき、その取締役が会社を代表して、債権者に対し債務引受をなすが如き、取締役個人に利益にして、会社に不利益を及ぼす行為も、取締役の自己のためにする取引として、これに包含される」と主張する。しかし、私はこのような見解は、(イ)「取引」の意味をはなはだ不明確のものたらしめ、且つ、(ロ)一面において、必ずしも取引の安全に充分ではなく、(ハ)しかも、他面において、会社資本の充実を害する虞があると考える。私は、これらの点につき、順次、多数意見を批判して行きたい。

(1) まず、多数意見は、「取引」の範囲を不明確ならしめる欠点がある。多数意見は、右に述べた如く、商法二六五条の取引を直接取引に限定しないで「取締役個人の債務につき、その取締役が会社を代表して、債権者に対し債務引受をなすが如き、取締役個人に利益にして、会社に不利益を及ぼす行為」もこれに含まれると主張するのである。問題となるのは、そのいうところの「如き」とは、いかなる範囲のものまでを含むかである。私は、その限界がきわめて明らかでないと考える。

多数意見によるときは、次の如き事例はそのいう「如き行為」のうちに含まれるか否かが明らかではない。まず、問題となるのは、取締役の個人の債務につき、本件と異り、他の取締役が会社を代表して債権者に対し債務引受をなす行為が含まれるかである。商法二六五条にいう取引とは、会社と取締役間の取引を指すのであつて、この場合、会社を代表する取締役と相手方となる取締役とが同一人であることは要件でない以上、多数意見が本件をもつて同条の「取引」に該当するとするからには、それとの均衡からして、右の場合をも「取引」に含ましめようとする見解は当然に生じるからである。次に、多数意見は、私の如く、取引の意味を取締役と会社との間の直接取引に限定することなく、それ以外のもの(以下これを間接取引ということとする。)にまで拡張する以上、多数意見のいう「取引」を債務引受をする行為に限定しても、次の如きものが含まれるか否かが当然に問題となつて現われる。たとえば、(イ)甲会社の代表取締役Aが乙会社の平取締役ではあるが、実質上乙会社がAの個人企業であるとき、Aが乙会社の債務につき、甲会社を代表して債務引受をする行為、(ロ)Aが甲乙両会社の代表取締役を退任した後、Aが乙会社の債務につき甲会社を代表して債務引受をする行為、(ハ)甲会社の代表取締役Aの父親が個人企業を営んでいたが、その死期が近く相続が眼前に迫つたとき、その第三者に対する債務につき、Aが甲会社を代表して債務引受をする行為の如きこれである。さらに右に類する多くの場合を生じるのである。そして、多数意見がもしこれらの事例を「取引」のうちに含ましめないならば、多数意見は、「如き」という表現を用いながら、その実質は本件の如き単なる一場合のみをもつて、間接取引とすることに帰する。もし、多数意見が右の事例のうち、あるものを「取引」に含ましめ、あるものをこれに含ましめないならば、その限界の基準を明らかにすべきなのである。そして、既に述べた如く、多数意見は、取締役会の承認を得ない取引をもつて無効(無権代理)と解するのであるから、その限界が明らかでないことは、取引の安全を害することが大なのである。

この点について、私は民法八二六条を考えてみたい。同条は「親権を行う父又は母とその子と利益が相反する行為」と規定し、「利益が相反する」こと以外には格別の制限を付していないため、いかなる場合にいわゆる親子間の利益相反を生ずるかについて、多くの疑問を生じ、その結果、法律関係をはなはだ不安定たらしめるに至つている。このことは、人の知るところである。しかるに、商法二六五条は、会社と取締役間の利益相反する取引について規制しながら、民法の右規定と異り、「利益が相反する行為」という表現を用いることなく、「会社ト取引」という表現によつて会社と取締役の利益相反する行為のうち、両者間の直接取引――それは間接取引に比して遙かに外形的にも把握し易い場合である――のみを規制の対象とし、その範囲のみに限つて取締役会の承認を受くべきものとしているのである。株式会社においては、親権者が子を代理する場合に比し、経営上、きわめて数多くの取引関係が生ずるからには、商法二六五条の条文自体がこのように「取引」の範囲を明らかにしたのは、取引安全のため優れた立法であるというべきである。そして、同条の沿革に徴しても――今その詳論は避けるが――、同条にいう取引とは「直接取引」を対象にしたものと認められ、従来同条の取引に該当する事例としてあげられたものが、主として「直接取引」に関するものであつたことも、このことを示している。このように考えるとき、商法二六五条の「取引」を多数意見の如く解することは、単に法文に反するのみならず、取締役会の承認を要すべき行為の範囲を不明確たらしめ、徒に争を生ぜしめることとなるのである。

(2) 次に、取引安全の観点より、多数意見を考察してみたい。それは、多数意見が右のような主張を敢てするのは、取引安全の考慮に出たものと臆測されるからである。しかし、多数意見は取引安全の点でも問題があるのである。

既に一言した如く、商法二六五条の沿革に徴するとき、そのいう取引とは「直接取引」の意味に解すべきであるに拘らず、近時右の取引のうち直接取引にあらざるもの、すなわち間接取引をも含ましめる見解を生じたのである。もつとも、かかる見解を採る者の間でも、間接取引のうちいかなるものをこれに含ましめるかについて、意見は必ずしも一致していないと思われるが、その意図するところは、取引の安全にあるといえよう。かかる見解は、取締役会の承認を経なかつた場合であつても、その取引は無効でなく、有効であるとするからである。しかるに、今、本件につき、多数意見が右法条の取引のうちに間接取引のうちのあるものをも含ませながら、しかも、その違反行為を以て無効(無権代理)と解するのは、一種の折衷説といえよう。けだし、それは一面において新たに台頭した右の学説を取入れつつ、他面において、同条の違反行為を無効とする従来の学説を採用し、両者を結合せしめているものと認められるからである。しかし、かくては、間接取引の相手方の受ける利益は不安定であり、取引の安全を著しく欠くに至ることは、一見して明白である。ここにおいて、多数意見は、次の如き理論構成を試みる。すなわち、「取締役と会社の間に直接成立すべき利益相反の取引」と「会社以外の第三者と取締役が会社を代表して自己のためにした取引」とを区別し、後の場合につき、「会社は、その取引について取締役会の承認を受けなかつたことのほか、相手方である第三者が悪意であることを主張し、立証して始めて、その無効をその相手方である第三者に主張し得る」というのである。すなわち、かかる場合には、会社側にかかる主張・立証責任を負担せしめることによつて、取引の安全を図ろうとするのである。そして、多数意見は、本件において取締役会の承認を受けなかつたことにつき、相手方である上告会社が悪意であつたことを、被上告会社において主張し、立証しなかつたとして、被上告会社は右取引の無効を上告会社に主張し得ないものと、かく解することによつて、本件に関するかぎり、取引の安全を図り得たのであつた。しかし、既に指摘した如く、多数意見は、「取引」のうちに間接取引に属するものを含ましめ、しかも、いかなる場合が会社と取締役との間の利益相反する取引と認められるかについて、的確の基準を示さない以上、その取引につき、取締役会の承認を要するか否か不明の場合を多く生じることとなり、第三者は、予期せざるに、会社より悪意なりと主張されて、その権利取得をおびやかされる場合を生じるのである。

(3) 更に、多数意見は、会社資本の充実を害する虞があるのである。何となれば、間接取引の場合、取引の安全の名の下に会社の重要な財産が第三者によつて取得され、会社に損害を生ずることが生じ得るからである。

更に、多数意見によれば、直接取引の場合にも、第三取得者を生じたとき、会社に大なる損害を生じる虞がなしとしない。ことに、当裁判所大法廷判決によれば、代表取締役が会社の運命に関するが如き重要な財産を処分しても、譲受会社がその財産によつて営んでいた営業的活動を承継しない限り、商法二四五条一項一号にいう「営業ノ全部又ハ重要ナル一部ノ譲渡」に当るものでなく、株主総会の特別決議を要しない(当裁判所昭和三六年(オ)第一三七八号同四〇年九月二二日大法廷判決、民集一九巻六号一六〇〇頁参照)――もつとも、私は、この大法廷判決に対し、反対意見を表明している――のであるが、多数意見は明言しないものの、それによれば、商法二六五条の取引の解釈上、会社の代表取締役が、取締役会の承認を得ずして会社の運命に関するが如き重要な不動産を安価にて買受けさらにこれを第三者に売却した場合、その第三者が会社側より悪意の主張・立証をされない限り保護されるとの見解を生ずる虞が多分にあるのである。現に大隅裁判官は、この第三者保護の点を強調され、しかも、同裁判官は多数意見の「補足意見」としてこれを主張されているのである。かくては、会社資本の充実が著しく害されるに至ることはいうまでもない。

(4) なお、附言するに、本件の実態に即して考えてみる。松本裁判官の指摘される如く、被上告会社の実態は、株式会社形態をとりつつも、その実質は個人経営の疑いが濃い。すなわち、被上告会社は、その代表者深尾四郎が妻鈴子名義を用いて営んでいた三栄電機商会を会社組織に改めたものであるとすれば、三栄電機商会名義にて深尾四郎が上告会社に対して負担していた買掛代金を深尾四郎が被上告会社の代表者として引受けたといつても、実質的には会社と取締役との間の利益相反するものとはいい難くなり、従つて、多数意見の如くその引受行為を以て商法二六五条の取引に該当するということは、却つて社会の実情に副わない虞が十分あるといえよう。

以上(1)ないし(3)(なお(4)参照)にて述べたところにより、本件については商法二六五条を適用すべき余地はなく、従つて、同条の適用ありとした原審は法令の適用を誤つたものであり、その法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、本件上告はこの点において理由がある。要するに、本件引受行為の履行を求めている上告会社の本訴請求は正当であり、原判決中上告会社敗訴の部分は破棄を免れない。

裁判官松本正雄の意見は次のとおりである。

上告代理人山根篤外四名の上告理由第二点の(二)について。

原判決(その訂正、引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の認定するところによれば、三栄電機商会は、被上告会社代表者深尾四郎の妻深尾鈴子名義で開始された電気製品の小売販売を営む個人企業であつて、昭和三一・二年八月頃以後は、その実質上の営業主は深尾四郎であつたこと、同人は、右小売販売業を会社組織で営むことを決意し、自己が中心となつて、昭和三四年一月六日被上告会社を設立(同日その旨の登記)し、自ら代表取締役社長に就任し、被上告会社は結局、実質において個人営業の三栄電機商会を形の上で会社組織にあらためたに過ぎないものであつたこと、被上告会社はその設立の頃三栄電機商会こと深尾四郎が上告会社に対して負担していた本件買掛代金二六五万四、〇〇八円を引き受けたもので、その引受がなされた上で、上告会社は被上告会社とは前記三栄電機商会当時と同様な方法によつて、相当期間電気製品の取引を継続してきたこと、その後さらに昭和三六年四月三日には深尾四郎は上告会社名古屋機器営業所所長木村直喜に対して被上告会社の代表取締役として前記引受の買掛代金債務を確認していること、被上告会社の設立当時の取締役は、代表取締役として深尾四郎が就任したほか、同人の妻深尾鈴子と父深尾由市ならびに従業員杉浦菊子の四名であつて、昭和三四年一月六日設立されてから本訴提起に至る昭和四〇年九月一日まで約六年間いまだかつて取締役会が招集されたことがないというのである。

そして、本件記録によると、被上告会社の資本金は一〇〇万円、従業員数は約一〇人であつて、前記四名の取締役の任期が満了してもその改選はされず、また、前記取締役のうちの深尾由市が死亡してもその旨の登記もされず、さらに監査役村瀬定一が死亡してもその後任を選任することなく放置されていること、被上告会社の株式も大部分が深尾四郎夫妻のもので、残りの一部が従業員の名義にされているが、右四郎が被上告会社の事業の全般をひとりで掌握していることなどの諸事実を窺うことができる。

以上のような被上告会社の実態をみると、被上告会社は、取締役会を開催したことがなく、商法の規定している重要な事項をも履践していないものであつて、株式会社の形態をとつてはいるものの、株式会社の実態を有しないものであるというべきである。

このように、ほとんど個人資本のみをもつて運営されている小規模な事業で、本件のように会社としての実態を備えていない「株式会社」が現在全国に多数存在し、これらの「株式会社」にまで商法をそのまま適用することの是非について、議論のあることは周知のとおりであるが、このことは立法政策の問題であるからここでは触れないが、ただ、裁判所が商法の諸規定を適用すべきかどうかの判断に当つては、単に形式にのみ捉われることなく、その実態に即してこれをきめるべきであつて、さもないと法律を活用することにはならないというべきである。

ところで、商法二六五条の法意は、取締役には会社に対する利害衝突行為避止の義務のあることを認めて、会社や株主に対し損害を与えることを防止するために、取締役が自己または第三者のために会社とする取引について取締役会の承認を要するものとしたものである。

これを本件について検討すると、被上告会社の実態は、前述したとおりであつて、株式会社の形態を採用しているとはいつても、その実質は個人経営のものであり、被上告会社の利益、損失はとりも直さず、経営者たる深尾四郎の損得と同じであつて、深尾四郎が会社の代表取締役として形式上商法二六五条に該当するような取引を取締役会の承認を得ないでしたからといつても、被上告会社自体またはその株主との間に利害衝突をもたらすことなく、なんらの弊害もないのである。また、被上告会社は、設立以来数年にわたつて取締役会を開催したことがなく、同条の規定する取締役会の承認を受ける機会もなく、同条を適用する余地がないものといわなければならず、本件のように、具体的に特別の事情の存在する場合には、わたくしは、商法二六五条の規定を適用すべきではないと考える。

したがつて、右と異なる見解を採つて本件取引に商法二六五条の適用があるとした原判決は、同条の解釈・適用を誤つた違法があるというべきであり、この点の違法をいう論旨は、結局、理由があるに帰し、原判決中上告会社敗訴の部分は、その他の点について判断するまでもなく、破棄を免れない。

そして、原判決が適法に確定した事実関係に徴すると、上告会社の本訴請求は、正当として、これを認容すべきである。(横田正俊 草鹿浅之介 長部謹吾 城戸芳彦 石田和外 田中二郎 松田二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 松本正雄 飯村義美 奥野健一)

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